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2005/04/30

目も当てられない!

 JR福知山線の大事故は、106 人の犠牲者を出す大惨事となってしまった。現在は救助活動も終わり、本格的な原因究明作業の段階にある。

zoku ここで一冊の本を紹介したい。続々・実際の設計 失敗に学ぶ である。1996 年初版の本であるが、数々の失敗事例を考察し、何故失敗は起こるのか、失敗とは何かを、失敗の階層性、失敗情報の特性、失敗の学習方法、失敗学習の効果、失敗体験の必要性、教師の失敗教育方法等について論ぜられた希有な著作である。
 失敗例は、御巣鷹山の日航機墜落事故や、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故、アメリカのスリーマイルやロシアのチェルノブイリ原発事故などにもおよび、前例となる同様事故との比較考察など、読み物として非常に興味深い。
 著者は語る。

 重大事故は複数の原因が複合して発生する。(中略)大きなシステムが、単純な原因で重大事故を起すことはまず無い。しかし、確率的には低いものの、それらがいくつか複合したときに重大事故が発生する。そのような場合、個々の原因に前例があっても、全体の事象としては初めてのケースの事故と受け取られる。

 福知山線の事故にも充分当てはまるだろう。そもそも列車事故など滅多に起こるものではないのだ。秒単位に管理された過密なスケジュールでありながら、殆ど事故を起さない日本の鉄道は、やはり相当に優秀なシステムを持っている。ラッシュ・アワー時の運行は、利用者の振る舞いもシステムの一部に組み込むという、先進的な発想を用いて実現している。今回の事故は悲惨な事件であるが、そうであっても、今までの誇るべきシステムまで否定するものではないと思う。何重ものフェイルセーフ(安全対策)が施されてなお、何故、大惨事となったのか、そこをハッキリさせなければ死者も浮かばれないであろう。

 著者は語る。

 多くの失敗をした設計者ほど良い設計をする、とも言われている。事実としてはその通りであろうが、この経験重視の指導法はどこかおかしい気がする。なぜなら普通は失敗し続けたら設計するチャンス自体が再び回って来なくなるからである。
 一方、学生や若い設計者の設計指導をしてみると、通常の指導方法に大きな欠陥があることに気づく。それは経験重視とは逆に(中略)設計の正解だけを教えていることである。

 失敗を重ねた人間ほど、正解への道筋に詳しくなるが、まさか電車の運転手が失敗を重ねて経験を積むわけには行かないのだ。そこで必要なのは失敗談の継承だ。過去の失敗を我が物とし、将来踏む轍を前もって予測、回避するしかない。
 脱線のメカニズムは物理的な原因だけではない。運転手のメンタルに対するプレッシャー、会社の経営方針、公共交通機関に対して利用者が要求するもの、それら全てのベクトルが、あの時あの場所へと向かったために、何重ものフェイルセーフも容易く突破され脱線事故を形成してしまったのだ。今は一つ一つ要因を明らかにすることに専念するしかない。問題は、どう継承するかだ。

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2005/04/29

THE LIFE AQUATIC !

 個性派俳優ビル・マーレイが大好きな俺。26日に、彼が主演のライフ・アクアティックの試写会に行ってきた。非常に満足のいく映画であった。個人的にはこの映画が、ビル・マーレイの代表作と言われるような世の中になったら良いなぁと思う、.......ほどに微妙にくだらないところがグレイト! 最高だぜぃ!
 内容はというと、海洋学会から徹底的に無視され続けている、マーレイ演じる海洋学者(ズィスー)が率いる“チーム・ズィスーの冒険譚とでも言おうか。ただし、もう、のっけからどこかインチキくさい。映画の冒頭でローアングルから映し出された主人公ズィスーは、まるでジャン・レノが演じたエンゾかお前はっっっ!(笑)
いきなり脱力。
ってな具合にいきなり脱力感におそわれること請け合いだ。う~む、この映画の世界観をどのように伝えたらよいのか悩むところだ。例えるなら、夢かな。夢なんて支離滅裂で突拍子もないものだが、時々、妙に筋道だった夢を見ることはないだろうか? 俺は年に一度くらい壮大なスケールの夢を見たりする。もちろん細部は矛盾だらけなんだけれど、流れ者の俺が村人に助けてもらい、勇者となって悪い魔法使いをやっつけた時など、非常に気持ちの良い朝を迎えたものだ。この映画はそこまでファンタジックではないけれど、どこかそういういかがわしさがある。

 登場する海洋生物は架空の生物なのだが、映画の中ではリアルな存在だということになかなか気づけない。登場人物が体を貫通する銃痕を受けても割と平気な感じで動き回るし。そもそもチームの一員がいきなりジャガーザメに喰われて死んでしまうのもどこか嘘っぽくて、映画の中盤まで、死んだはずの隊員が何食わぬ顔でヒョッコリ出てくるのでは? と、いぶかしげに観ていたくらいだ。.......惜しいことをしたよ。最初から、ファンタジーだと思って観ていればもっと楽しめたはずなのに。
 登場人物達はちょっとだけ不思議な世界で一生懸命生きている。ズィスーと前妻との間に生まれた息子とのぎこちない親子愛。その姿を見て、人前で初めて涙を見せる現在の妻。海に魅せられた男(女)達のロマン。(いや、あまり魅せられてないかも。).......まぁ、そこまでやっても泣かせてくれないのよ、これが!(笑) その演出が上手いと思うのだ。

 計算し尽くしてわざとチープに作っている。オースティン・パワーズが好きなら理解出来ると思うが、あそこまで開き直ってない。ああそうだ、劇中、チームの一員が BGM のように歌を歌っている。どこかで聴いたような不思議なボサノバなのだが、これがまたこの映画の良い味を醸し出している。(調べてみると、なんと、デヴィッド・ボウイをボサノバでカバーしたものだった。)

 いつもトップレスの女性隊員。↓
小さくてごめんね。
 主人公に対して異常なまでに強い信頼感と忠誠心を寄せる一隊員。↓
良い味出してる。
 妊娠中のジャーナリスト。↓
この映画での妊婦は重要な役所。
脇役がまた素晴らしく良い演技を.......しないのだ。(笑)ギリギリのところで助演賞級の演技を、監督がさせない。
 極めつけは↓
妖艶。
ズィスーの現在の妻、エレノア役のアンジェリカ・ヒューストン。女は堂々としていれば、もうそれだけでセクシーなのね。

 チームのトレードマークは、赤い毛糸の帽子だ。しかも揃いのユニフォームは水色。もう、センスのかけらもないのだが、実は映画が終わる頃には、「カッコイイかも。」と思わせるほど、計算されたギリギリのクールさ。

 そうだ。この映画は無茶苦茶クールなのだ。
映画に登場した潜水艦の模型。

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2005/04/27

4月27日のマイマイ君

 今日は映画試写会の感想を書こうと思ったけれど、マイマイ君の記事のアップが昨日中に間に合わなかったので、こちらを優先します。

 先日、餌のキャベツを近所のスーパーで物色していると、良さそうだと思って買い物カゴに入れたキャベツの葉っぱに、芋虫が付いているのを発見。(アブねぇ! また家族が増えてしまうところだった。)ここは他のキャベツにしておこう。
 さて、餌を交換するため、カルシウム補給目的の卵の殻を取り出すと、いきなり殻の裏側に張り付いているマイマイ君を発見。毎回探し出すのに苦労していたので、今日は作業時間が短縮出来て嬉しい。
最近は眠りがちのマイマイ君。
 よく見ると、前回同様に殻の入り口に蓋をして、中に閉じこもっているマイマイ君。これも成長に必要な過程なのだろうか。完全に乾ききっているマイマイ君。大丈夫だと思う反面、やはりチョット心配になる。今度も水をかけて中から顔を出すのを待ってみることにする。(なんだかカップ麺みたいだね。).......すると、
お!出てきましたよ!
出てきた出てきた! チョット時間がかかって焦りましたが、元気そうじゃんよう!
 と、いうわけで、皆様ご心配なく。それから、体長に関しては、殻の直径でもっとも長い部分が 5mm に達したということを報告しておきます。

 前回、お友達の夜猫さんから、雌雄同体のマイマイ君に対し、

>お父さん役、お母さん役と、
>それぞれ2固体存在して生殖するんだろうか??

という、ご質問をいただきました。そこでお答えですが、彼ら雌雄同体生物は、例外を除けば単体での生殖は出来ないそうです。別の個体と遭遇した時、精子の袋をお互いに交換し合って、それぞれが卵を産むのだそうです。つまり彼らはお父さんでもあり、お母さんでもあるのですね。

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2005/04/25

なまってもいいべっ!

 最近、学生を中心とした女の子達に方言が流行しているらしい。言葉の音感が豊かで、表現力も増すのが魅力的なんですと。やるじゃん! 女の子たち! (ちなみに語尾に“じゃん”と付けるのも方言なのね。)
 この情報は、朝のニュース番組で知りえたのだが、キャスターなどはあまりいい顔をしていなかった。理由は、地方出身者の自分とすれば、バカにされているように感じるから、とのこと。それはあまりにも狭量だろう。彼女たちは、なまりを見下して使っているのではない。豊かな表現を身に付けること、それを用いてコミュニケートすることに、新鮮な喜びを見い出しているのだ。なぜそれを手放しで喜ばんのか。

 20年以上前、最初の漫才ブームが起こった。この功績は、関西弁を全国的に広めたことだと思う。それまでは、関西圏以外で関西弁をまくし立てられても、ほとんど理解できなかったのが実情だったろう。いまや市民権を得たどころか、関西弁をどんな状況で耳にしても違和感すら沸かない。素晴らしい事だと思う。そういうコンセンサスがあってなお、以前、アルバイト先で知り合った関西出身の友人は、「俺はこっち(関東)に来たからって、言葉を変えるつもりはない。関西弁を使い続ける。君たちも“にわか”で関西弁を使わないでくれ、不愉快だ。」という内容を、関西弁で俺に訴えた。その気持ちを受け取った俺は、どこか悲壮感が垣間見えて残念な気持ちになったっけ。
 方言に対するちょっとした差別や、地方出身者自身のコンプレックスは、今も無くなっていない。

 そもそも標準語とは何なのだ。イタリアでは、アナウンサーは自分の出身地区の方言でニュースを読み上げるのが普通なのだそうだ。日本ではなぜそれが許されないのか不思議だね。それが実現しただけで、どれだけ放送が豊かになることか。

 青森出身の芸能人が、津軽弁にはフランス語にも通じる語感の美しさがある、という。確かに彼が標準語を津軽弁に“翻訳”した文章は、それだけで詩的であったし、標準語より言葉の音節も少なく、音的であるので、非常にメロディーに乗せやすい。彼の津軽弁で作ったロックは、ちょちょいと作った割には非常に完成度が高かった。もう一度聴きたい。余談だが、津軽弁は合理的なのだそうだ。例えば、

「こんばんは。どちらへ行かれるのですか?」
「ああ、こんばんは。これから銭湯に行くところです。」

これを津軽弁にすると、

「どこさ?」
「フロさ。」

これで済むとのこと。なんでも、津軽は寒いところだから、外で長時間会話しなくて済むように進化したのだと、前出の芸能人は言う。多少の脚色はあったにしても、凄く面白いね。

 さて、冒頭の女の子たちに話を戻す。
 女の子たちが方言を覚える情報源は様々だが、中でも興味深かったのは、おばあちゃんからというもの。お母さんではないのだ。お母さん世代は方言の使用にコンプレックスが残っていて、「田舎者だと思われたくない。」という意識が強い。普段なるべく標準語に近い言葉を使うものだから、方言の語彙が少ないのだそうだ。そういう事情もあって自然とおばあちゃんとの接点も増えてゆく。きっと言葉以外にも勉強になることが多いのであろうな。全く素晴らしいことだよ。
 女の子たちには、地方に在住することのコンプレックスなどない。むしろ地元を愛しているのだそうだ。俺はちょっとグッときたね。

 でさ、何で始まりはいつも女の子からなんだろうね。流行の起点や発端はいつも女の子たちから沸き起こる。男の子の存在って、現象としてちっとも見えてこないのな、いつの時代も。

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2005/04/24

オレンジ色の憎い奴!

 先月鶏肉の四川風煮込みを作った時に、風味付けに自家製ラー油をちょっと加えようと思ったら、なんと! 傷んでいるではありませんか!.......ガックリですよ、もうガックリですよ。可愛い可愛いラー油ちゃん。美味しい美味しいラー油ちゃん。ゼリー状のブヨブヨが発生して、なんだか気味の悪いことになっています。でも、そうなった原因に、ちょっと思い当たる節もあるのだが、それは追々、作り方と共に説明しようじゃありませんか。

《材料》

  1. ごま油
  2. 唐辛子
  3. ニンニク
  4. ショウガ
  5. 長ネギ
  6. 山椒の実(中国産花山椒がベスト)
  7. ごま(&すりごま)

1~5は必須。6、7は、あると風味がアップ!

《作り方》

  1. ごま油を、ラー油を作りたいだけ鍋に注ぐ。ちなみに俺流レシピでは太白胡麻油(写真左)をメインに使用。色も風味も淡泊でクセが無く、ラー油のベースに最適だと思う。ただし、ごま特有の香りもマイルドすぎるので、完成後に一般的な胡麻油(写真右)を加えるといい。
    左が太白
  2. 香味野菜の長ネギ、ショウガのスライス、ニンニク(皮付きのままでOK)を適当な分量入れて、鍋に火をかける。火の加減はあまり強すぎないよう、じっくりと香味野菜から風味を抽出する感じで。(油に煙が立つようでは完全に強すぎ。)
    あまり高温にしないように気をつける
  3. 油の風味を引き出している間に次の準備をしよう。ステンレスのボールに唐辛子を好きな分量だけ入れる。俺流では8:2の割合で、韓国唐辛子(写真右&注)と、一般的な唐辛子(写真左)をブレンドするのがベストだと思っている。韓国産は色も鮮やかな深紅で、出来上がった時のラー油の色がとっても綺麗。しかも唐辛子なのに複雑な味わいがあって素晴らしい。しかし、辛さがマイルドなので、一般的な唐辛子で辛さを補完しておく。また、あれば、この時点で山椒の実、ごま、すりごまを自分が旨いだろうなという分量だけ混ぜておく。
    一度使ったら病みつきの韓国産唐辛子
  4. ブレンドした唐辛子に(2)で熱した油を注ぐことになるわけだが、いきなり注ぐと、唐辛子が焦げてしまう。それを防ぐためにも、ショウガの絞り汁を、唐辛子が全体的にしっとりとするまで振りかけておく。
    深爪野郎の俺
  5. (2)の長ネギに香ばしい揚げ色が付いたら、油の準備もOK。菜箸などでかき混ぜながら(4)の唐辛子に注ぎ入れる。この時、唐辛子にまぶしたショウガ汁が蒸発して、ジュワジュワーっと炭酸のように沸き上がるのでビックリしないように。量が多いなら、無理せず何回かに分けてやろう。(日持ちが心配なら、このまま弱火にかけて、水分を蒸発させる。ただし、あまり神経質になっても唐辛子が焦げるだけなので注意。)
    ジュワーっとなって面白い
  6. 火から下ろし、自然に冷めたところで、(1)で紹介した一般的なごま油を追加して風味を付ける。最初から入れないのは、熱で胡麻油の風味が飛ばないようにする工夫。
    オレンジ色の憎い奴
    美味しい美味しいラー油の完成! 一度味わったら市販のものでは物足りなくなる悪魔の液体だ!

 さて、前回俺がラー油をダメにした理由だが、おそらく材料の唐辛子の風味が落ちていたせいだと思われる。余った唐辛子は冷蔵庫で保存しようね!

※注) 朝鮮半島に唐辛子を持ち込んだのは、日本人なんですと。戦国時代、秀吉が朝鮮出兵(というか侵略)した際に、食べ物の保存や防寒対策のために持ち込んだものが、彼の地で根付いたとのこと。明らかに韓国産の唐辛子の方が、味に深みがあるのだが、長年の間、多少の品種改良もあったにせよ、基本的には日本の唐辛子と変わらないらしい。朝鮮半島の気候、土壌が大きく影響するのか、韓国唐辛子を日本で栽培しても美味しくならないし、日本のものを韓国で育てると風味が増すとのこと。何にせよ、朝鮮半島の食文化に日本が多大な影響を与えていたとは感慨深い。あの侵略がなければ、今頃、美味しいキムチを食べることが出来なかったかも。

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2005/04/22

ボケ防止対策!Chapter3

 先日、またもや蘊恥庵庵主 さんのブログなのですが(最近、ネタの切れの LUKE を刺激してくれて助かります。)、色見本帳の話題があって、要約すると、「色の名前、特に和名はそそりますなぁ。」というフェチな内容。読んでムラムラした俺は

「俺だって持ってるモンね! DIC のカラーガイド! しかも日本の伝統色バージョンもね!」

と、何故か対抗意識がフツフツとわき上がる。そういえば引っ越してから四年、何処にしまったか分からなくなっているぞ。俺としては一刻も早く、カラーガイドを見てハァハァしたいわけである。(探さねばなるまい!)
 無惨にも荷物の詰め込まれた押し入れの中身をひっくり返し、「あった!」と思ったら、それは和名のではなく通常バージョン。これはこれでそこそこ楽しめるものの、今の気分は大和撫子なのだ! 外人さんはまたの機会と言うことで、捜索を続ける。が、.......結局無かった。(涙) ところが、代わりといっちゃ全然違うが、今まで散々探して見つからなかったエレクトリック・ベースのシールド(電線)が、ひょっこり出てきた。(おお! これでチューニングが出来る!)

 散らかってしまった部屋を片付けるのは後にして、もうベースをいじることしか頭にない俺。(ああ、後で嫁に怒られるかも。)とは、多少思ったがベースベース! 早くチューニングして、ここ数ヶ月間の気持ち悪さを払拭しよう。
 チューナー(音の高さを表示する装置)につないで調べてみると、全体的に一音くらい低かった。早速適正値にまで音程を上げると、かなり弦のテンション(張力)が変わる。しばらく緩い弦に慣れていたものだから、左手の押さえがややきつくなって弾きにくい。ぬぅ、そろそろメトロノームを使ってリズムの練習だと思っていたが、もうしばらくプイプイと指慣らしを続けることにしよう。

 プイプイ、プイプイ。

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2005/04/20

大村はま という人がいた!

 昨日、埼玉県の小学校で、新人の教諭が自殺なされたそうだ。ここ最近の平均で、ひと月に六人の教員が自殺という形で亡くなっているとのこと。いくら何でも多過ぎる。

 教師というものを職業として捉えた時、随分と割に合わない仕事だと俺は思っている。彼らには残業手当さえ支給されない。一生懸命仕事をすればするほど自分の首を絞めることになる。挙句の果てに、仕事を自宅に持ち帰る。学校にいる時間だけでは終わらないからだ。この、個人情報にうるさいご時世でも、生徒の成績表の紛失・盗難が減らないのには、そういう背景がある。
 もちろん当人や学校側にも問題があるのも事実。彼らの作業は非常に効率が悪い。民間ならどんな些細なことでも合理化するところだが、学校という場所にはそう言う発想がほとんど無い。仮に、一教師が合理化を申し出ても、学校という事なかれ主義の環境では黙殺されるだけだ。改善案が協議されることもなく、毎回潰されるようでは、教員自身からそういう意識が無くなったところで、誰が彼らを責められる? かくして、やらなくても良い作業に手間取り、本来なら生徒や児童に割く時間がどんどん減って行くのだ。
 多かれ少なかれ、教職に対する特別な想いがなければ、この職業は続けられないだろうし、そこに責任を感じるからこそ自殺者も絶えないのであろう。

 先日、蘊恥庵庵主 さんのブログで、大村はま先生の存在を知った。嫁に言わせると、教育関係者で知らぬ者はいないとのこと。早速 Web で検索すると、出るは出るはの情報の嵐。その中で目にとまった文字が『灯し続けることば』であった。同名著書の三頁だけ立ち読みできるようなので拝見してみる。目眩がするほど感銘を受けた。これらの文章は、教育に携わる者への一方的な叱咤激励では断じてない。慈愛に満ちた応援歌であり、謙虚に、胸を張って、共に学べ、共に歩めと俺には聞こえる。

 教育の混沌に対峙し、それに押しつぶされそうになった時、先生の存在が胸にあったなら、これ程までに自殺者が増えることもなかったのではないか。

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2005/04/18

俺のアイデンティティを返せ!

 昨日は、普段からお世話になっている友人 N 氏のピンチヒッターとして、とある会社のパソコン設定業務にかり出された。こういう業務には珍しく、作業自体に大きな問題もなく、予定時間を一時間繰り上げて帰宅することが出来た。のだが、今日は非常に気持ち悪い思いをしたよ。
 本日、担当者と会った一言目で、「今日は一日、“山田浩”(仮名)という名で通してください。」と言われる。つまり本来やってくるはずの男は山田浩(仮名)さんであり、そのピンチヒッターである俺は、今日一日その当人になりきらねばならない。せめて、俺にこの話を紹介してきた友人の N 氏の名であるなら、まだ気分的にも納得できる。しかし、見ず知らずの人の名を名乗るというのは思っていたより気持ちの悪いものだ。

 パソコンの設定というのは、実はそんなに難しい作業ではない。ただ、一見単純そうな設定でも、作業工程を羅列すると結構な数に上るため、単純にミスを起しやすい。日常生活ではアバウトで済むことも多いが、パソコンの場合は一カ所設定を間違うと、テコでも正常に動かないというのが厄介なところ。そんな理由から、こういった作業には作業工程のチェックシートが毎回不可欠だ。うっかりミスを防ぐため、作業員はチェックシートとにらめっこしながら、粛々と設定を行って行く。で、その最後におきまりの署名を行わなければならない。このパソコンを設定したのは、この俺であると。ところがだ、それが全然別人でしかも見ず知らずの名を記入するとなると、本当に気持ち悪い。一台に付き、ペンによる署名と、キーボードでの入力の二回ほど、俺は山田浩(仮名)という名前を記入し続けた。書く度に

「俺は山田浩(仮名)じゃねぇ!」

という思いがこみ上げる。
 家に帰ってまず行ったことは、紙に自分の名前を書くことだった。普段当たり前のように書いている自分の名前。それを書くことが、こんなにも気分の良いことだったとは!

 陰陽師(原作:夢枕 獏)という作品がある。この中で、全ての名前は“呪”であり、そのものを、それとしてあらしめる源であると同時に、そのものを、それに限定するための“縛り”であるといった下りがある。言霊ともいえる。ちなみにこのブログからリンクさせてもらっている 蘊恥庵庵主 さん(このお方、現役の高校教師で国語の先生なのだ。この人の授業は面白いだろうなぁ。)のブログ 不二草紙 本日のおススメ“京都議定書発効…「集団気分」と言葉”という項にも言霊に関する考察があり、非常に興味深い。勝手に引用させていただく。

 これが言葉の恐ろしさです。集団気分を作るのは、間違いなく言葉の機能の一つです。「いじめ」も「ひきこもり」も言葉が作り上げた世界です。

 人はいかに言葉(文字)の生き物であるかと思い知らされる。言葉は良くも悪くもカテゴライズする性質がある。
 俺の嫁が小学校の先生だということは、ここで触れたかどうか定かでないが、先生なわけです。でもって、時々会話の中で気になるのが、ADHD(注意欠陥・多動性障害)などという言葉。昔なら落ち着きのない子で済んだところを、ADHDと呼ぶ(カテゴライズする)ことで、まるで病人のようにしてしまう。人間とは一人残らず病人であるという正しい認識の元で、そのような会話がなされているのであれば、あまり問題はないと思われる。しかし実際はどうか。幸い、嫁はその危険性も十分に理解している。ただ、教育の現場では、どうしてもそういう観点から、物事捉える必要もあるようで、事は単純でもないが。

 名前で思い出した。俺は東京芸術大学を受験するために、何年か大学入試センター試験というのを受けたことがある。(結局合格は叶わなかったが、今だって受けようと思えば受けられるのだ、挫折した覚えもなけりゃ、あきらめた覚えもない。)毎年、国語の試験は俺にとって楽しみであった。長文読解の問題に出される例文が、誠に素晴らしい。ある年の試験では、問題に感動して解答用紙を涙でぬらし、ある年の問題ではその哲学的な考察に圧倒された。大学の教授というものはこういう素晴らしい文章に囲まれ、研究を続けているものなのかと、心底感心したものだ。
 いつの年だか記憶が定かでないが、その例文に名前に関する考察があった。痛く感動した割りにはしっかり内容を覚えていない。近いうちに図書館へ行って、当時の入試問題を探してみたくなった。もう一度読み返す事が出来たなら、またこの項の続きを書きたい。

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2005/04/17

○○計画!

 極秘裏に行われた我が家のある計画が、この度、情報公開されることになった。その名も「豆苗倍増計画」! これに比べれば、所得倍増計画も○○クローン計画も、屁みたいなものである。

 世の中には豆苗という食い物(というか野菜)がある。
奇跡の食材「豆苗」!
クセのない、生で良し、炒めて良しの便利な野菜だ。とりあえず食う。そして残ったのは、根っこだけになった無惨な姿。ありがとう豆苗君、美味しかったよ。チーン南無南無。
俺は君を忘れない。

 ところがだ、嫁に言わせると、この豆苗って奴は「二度食える」とのこと。

「どういう事なの!?」

俺は嫁から大変なことを聞いてしまった。あることをすると、豆苗は再生してしまうのだそうだ! その、あることとは?

水だ! 水をかけろ! 水をかけて窓際あたりに置いておけ! 水だ! 水をかけろ! 水をかけて窓際あたりに置いておけ! 水だ! 水をかけろ! 水をかけて窓際あたりに置いておけ! 水だ! 水をかけろ! 水をかけて窓際あたりに置いておけ! 水だ! 水をかけろ! 水をかけて窓際あたりに置いておけ!

 十日間の映像↓
驚異の映像を見よ!
夏場なら、もう少し成長が早いと思われる。

 皆様のお宅で実行する時は、包丁に気をつけ、手を切らないよう、注意しなければならない。無事成功を祈る。
 なお、このブログは三秒後に.......。

 ネタ切れ状態の俺であった。

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2005/04/15

パニック!その2の7

 この項、ちょっと長くかかり過ぎた。今回で終わらそう。

 連行された侵入者と共に、事情聴取のために警察署へ向かった俺であったが.......。

---前回からのつづき---
 警察で事情聴取を受けたのは、以前、交通事故に巻き込まれた時以来で、その時が始めてではなかった。俺は落ち着いたもので、警察官の質問に滞りなく答えるものの、心は何処か虚ろだった。

「○時○分、逮捕。と、.......。」

警官はそのように調書に記入していた。警官でなくとも、犯人を捕まえることを“逮捕”というのだそうだ。もっと詳しく言うと、「現行犯に限り、民間人でも犯人を逮捕することが出来る。」という法律があって、そのものズバリ、民間逮捕というらしい。(へぇ、逮捕ねぇ。そんな当たり前なことにも、いちいち法律があるのか。)
 そうこうするうち、俺のは終わって、板前さん、女将さんの順に聴取が始まった。俺はそこから少し離れたベンチに座って、皆が終わるのを待っている。あれ? 気が付けば凶器のノコギリを俺が持ったままだ。(まだ持ってていいのかなぁ、誰に、いつ渡せばいいのだろうか?)そんなことを、凶器をいじりながらぼんやり考えているうちに、男が進入してきた瞬間がフラシュバックされる。今頃になって体が震えてきた。もちろん、一瞬でも死を覚悟したのだから、その怖さもある。しかし、もっと恐ろしいのは、保身のためとはいえ、ためらうことなく瞬時に殺人を実行に移した自分自身に対する恐怖だった。(殺していたら、今頃俺はどうなっていたのだろう?)
 学生の時分に読んだ「異邦人:カミュ作」という小説の一節を思い出す。大した理由もなく殺人の罪を犯した主人公は、護送車の鉄格子の間からのぞく風景に、かつて自分の住んでいた町並みのような懐かしさを感じながら思う。

「あたかも、夏空の中に引かれた親しい道が、無垢のまどろみへも通じ、また獄舎へも通じうる、とでもいうように。」

 俺はついさっきまで、いつもと変わらぬ明日が来ると信じていた。また明日も居酒屋で働き、その次の日は画塾に通い、その次の日は、そしてその次の日は、.......。ところがどうだ、見ず知らずの侵入者のせいで、それがいかにあやふやなものかということを思い知らされた。(俺は人殺しになるところだったのか! もし、そんなことをしていたら、いくら正当防衛とはいえ、それまでの自分とは違う人生を歩むことになっていただろう。)

 その後、店に戻り、警官が現場の被害状況を写真に収めた後に、簡単に片付けをして、途中だった食事を再開する。三人とも妙にテンションが上がっており、ビールを飲んじゃうかということになり、次は焼酎に行くかということになり、あの時のお前はどうだったとか、何をボヤボヤしてたのさとか、女将さんの走る姿がどうのとか、ケラケラ笑いながら気が付くと、既に時計は正午に近かった。事件が起きたのは早朝だ。仕事の疲れがあったにせよ、三人ともどうかしていたのは間違いなかった。

 その日の夜、再び店に出勤すると、既に割れたガラスは交換されており、事件の痕跡は無くなっている。まるで今朝の出来事に現実感が無くなっている。やや不安になって女将さんに挨拶すると、事の顛末(てんまつ)を知らされた。侵入者の母親が女将さんのところへ挨拶しにきたらしい。その母親によると、侵入者である息子さんは、精神科の病院から退院してまだ数日しか経っておらず、事件を起した動機も、「(中で食事をしていた俺たちが)楽しそうだったから。」「仲間に入れて欲しかったから。」というわけの分らないものであった。母親の、とにかく申し訳ありませんと何度も平謝りする姿を見た女将さんは、なんだか気の毒になってしまったそうだ。
 今になっても俺は思うのだ。あの時手荒なことをしなくて本当に良かった、と。そして、大した怪我もしなかった分、当時のあの店を選んだ侵入者の彼は幸運だったのかも知れない、と。

 彼は今頃どうしているのだろう。

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2005/04/13

Fカップ!

 成り行きとはいえ、Fカップを題材に詩を書くことになってしまった。このブログだけをご覧の方には全く意味が分らないだろうね。.....みんな! この俺についてこれるか!?

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えふかっぷの詩(改題:えふかっぷの歌)
- りでる様に捧ぐ -

たゆたゆと
癒多々たゆたう
多たゆたう
称うたゆたゆ
たゆ詠うたゆ

(読み)
たゆたゆと
ゆたたたゆたう
たたゆたう
たたうたゆたゆ
たゆうたうたゆ

(意訳)
たゆたゆと、揺れるおっぱいを見るに付け
とても癒されるのです。
そう、何度も揺れるほど...。
私は揺れるおっぱいを称えます。
すると、呼応するように、おっぱいも、高らかに喜びの詩を歌いあげるのです。
.......それにしても洗濯物の良く乾くことよのう。

(選評)
まるで秋晴れのように爽快な歌となりました。洗濯物が良く乾くことでしょうね。
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無念.......OTL 絶筆!

 この先、二度と詩を書くまいと誓う俺であった。

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2005/04/12

4月12日のマイマイ君

 さぁさぁ、大人気のマイマイ君のご登場ですよ!

 確実に育っていることは分るのであるが、それを皆さんに説明するとなると、これがちょっと困る。一般人が日常で使う長さの単位では、「ミリ・メートル」が最小であろう。しかし、マイマイ君の世界では、その単位は大きすぎてあまり役に立たない。マイクロメーターやノギス等、ミリメートルより小さな単位まで計測できる器具もあるが、その、挟んで計るという計測方法では、マイマイ君を「ぷちっ!」と潰しかねない。恐ろしや! そんなことになってみろ! 今や全国に点在するマイマイ君のファンの皆様によって、俺自身が潰されてしまう。...大事に育てなくては。

 餌は相変わらずキャベツであるが、外側数枚の堅いところは、もっぱら人間様が食べることになってる。外側には残留農薬があるかもしれず、ミニマムな体躯のマイマイ君にはダメージが大きいのではないかと、一応気を遣っているのだ。(全国のマイマイ君ファンの皆様、ご安心下さい。)
俺は生きてるぜ!。

 さて、たまにはカタツムリについての蘊蓄(うんちく)でもひとつ。
 問題。マイマイ君は男の子でしょうか? 女の子でしょうか? .......正解は、どちらでもあり、どちらでもないのでした。どういうことなのかというと、実は彼らは雌雄同体といって、男の子でもあり、女の子でもあるのです。ユニセックスというわけですな。真の意味でジェンダー・フリーな彼らの世界。きっと、性同一性障害(注)で悩むこともない。朝のラッシュアワーで、うっかり女性専用車両に乗り込んで気まずい思いもしない。素晴らしい!.....しかし、もっとつっこんで考えてみる。彼らの世界だと、女性専用車両といった痴漢対策をたてられない。男らしくしろ! 女らしくしろ! と、言われない代わりに、雌雄同体らしくしろ! と、世間から白い目で見られるかも知れない。

 と、いうことは、性差が無くてもジェンダー・フリーの世の中にはならないということか? いや、性が無くなっても、別の差が新たに生み出されるだけなのかもね。

※注)初出では“性同一傷害”と表記しておりましたが、嫁によると性同一性障害が正しいとのこと。訂正しておきます。

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2005/04/10

こだわっちゃダメ!

 よく、「こだわりがあるんですね。」と言われることも多い俺である。
「男のこだわり」などといって、それが美徳のように思われている世間の風潮。これは大間違いだ。拘(こだわ)りとは本来、別に良い方法があるのに、一つのやり方に固執することを言う。創業数百年の伝統ある老舗が、現在に至っても昔のやり方を踏襲していることもあるだろう。しかしそれは旧態然とした方法にこだわっているのではなく、それより良い方法が、現在に至るまで発見されていないからに他ならない。

 人間、こだわりがちである。一度完成したやり方を捨て去るには非常に勇気がいるものだ。
 芸術家のピカソは、自分で編み出した技法を何度も捨て去った。一つ生み出しただけで、それに固執していても、充分に安寧した生活を送れそうなものだが、彼はそれを望まなかった。プロ・ゴルファーの中嶋常幸は、その絶頂期にフォーム改造を行い、数年間スランプに陥った。何もしなければその間トップ・ゴルファーとして君臨できていたものを。そのことに対し、あるスポーツ評論家は「フォームを変えると言うことは、人生を変えることに等しい。」とコメントした。
 いままでさんざん研鑽して積み重ねてきたものを、あえてぶち壊して更に先に進もうとする彼らのその勇気、情熱、あるいは欲望。

 芸術家達はかくも美しい。

 俺はどうだ? 俺は美しいか? 俺は愚かにこだわっていないか?
 軽薄と思われようが、言ったそばから持論を覆すような人間になりたい。

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2005/04/08

フェチっていうな!

 最近になって、ブログシステムがリニューアルされて、文章の装飾が容易に出来るようになった。今までもタグと呼ばれるホームページを記述するルールを使えば、色々出来なくもなかったが、まぁ、面倒だったので最小限にとどめていた。今回から実験も兼ねて使ってみようと思っている。

 突然ですが、女性のお尻が好きである。そんな話しをすると、「お尻フェチですか?」と言われることも多い。全く失礼な話しである。本来フェチとは、性的でないものに対し、性的興奮を覚えることを言うのではなかったか。つまりだ、道を歩いていて電柱を見るたびにヒザがガクガク震えちゃうとか、焼鳥屋の前を通るだけで失神しそうになるとか、そういうのがフェチと言われるべきなのに、最近は何でもかんでもフェチである。女性のお尻という、これ以上ないくらい直接的な部位に魅力を感じる俺が、何故フェチ呼ばわりされなきゃならん! まぁいい。

 お尻好きは、神に祝福されている。街で女性のお尻をいくら凝視しても、問題になることはほとんど無い。これが他の部位、例えば胸であったらそうシゲシゲと眺めるわけにも行くまい。神様ありがとう! あなたがお尻を女性の背後に授けてくださったお陰で、日々幸せに暮らせております。
 ところが、である。このエデンに、とうとう悪魔の使者がやってきた。それは.......

 ローライズ!

 昨年あたりから股上(またがみ:注)の浅いジーンズが流行している。この間、嫁の服の買い物に付き合ったら、半ば主流になっているかのごとく沢山ディスプレイされていた。幻滅である。
 ローライズ! 俺の幸せを奪う呪われたスペル(呪文)よ。この俺から全てを奪い取るつもりか!
 この悪魔の使いは、お尻の美しいシルエットをことごとく破壊する。たしかに、ディスプレイのマネキンが身につける分にはカッコイイ。ところがだ、生身のお尻は柔らかいのだよ! マネキンのイメージに騙されてはいかんのだ。やつらのケツは途中で締め付けようが変形することがない。まるで詐欺師の手口だ。
 生身でローライズを着用すると、その他にも弊害がある。男性と女性をそれぞれ特長づけるポイントに、股上の深さがある。男性より女性の方が身体的構造上、骨盤、つまり股上が深い。ところが、ローライズを身につけることで、視覚的に股上が浅くなり、女性らしさをスポイルしてしまうことになる。
 まだまだあるぞ。女性は腹筋の発達も弱く、下腹がポッコリと膨らみやすい。そういう傾向にある女性がこの悪魔のジーンズを履くと、まるで漫画のキャラクターのようになってしまう。ハンプティ・ダンプティーか、ウィンピー(ポパイに登場する、いつもハンバーガー食ってる奴)のようだ。
俺にはこう見える。
必要以上に下腹が強調されて見えてしまう。
 素直にオーソドックスなジーンズを履く方が、よりフェミニンであることに早く気が付いて欲しい。(←とりあえず色付けてみました。)

※注)股上:ズボンの股より上の部分。またはその長さ。

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2005/04/06

北海道あれこれの3

 北海道の釧路にて、取れたてのサンマに舌鼓を打つ俺であったが。

 前回からの続き。
 “さんま苦いか塩っぱいか~” なんて歌(「秋刀魚の歌」佐藤春夫:作)もあるように、サンマの腸(ワタ)は苦いものだ。この味は子供には分らんだろうが、慣れてしまえばこの苦味を味わわないとサンマを食った気がしない。ところが、ここ釧路で食べたサンマの腸はクリーミーで、苦味など微塵もなかった。(旨っ!)何に例えようか。そうだな、カスタードクリームの食感だが、決してベタ付かずあくまで軽い。味は鱈の白子とアンコウの肝の良いところを掛け合わせたとでも言おうか、くど過ぎず、ほのかに甘い。とにかくサンマのイメージが変わるほどの衝撃だった。(新鮮とはこういうものだったのか。)
 いい加減腹もふくれてきたところに大振りのサンマを食べた俺であったが、初めての旨さに欲を出してもう一本手を出した。頭を丸ごと食べた後、腹の部分を箸で開いて中を確かめる。いつもなら暗灰色または褐色であるはずの腸が、見事にクリーム色であった。繰り返すが、新鮮とはかくも凄いことであったか。
 一通り納得した俺は、腹のふくれ具合からも、これが今日の最後の食べ物だと思いながら、サンマにかぶりついた。もうその頃には、“サンマの腸を食べる珍しい奴”という話しが周りに伝わっていたようで、数人の好奇の目に気付きながらも、俺は満面の笑みを止めることが出来なかった。

 最近覚えた料理に「サンマのわた焼き」というのがある。割烹店でお酒を飲むような飲んべぇなら、ご存知かも知れない。比較的新鮮なサンマを三枚におろし、腸を裏ごししたものに、酒、醤油、砂糖、卵黄などでのばしたタレを塗りつけて焼くだけだ。詳しい調理法はネットで検索して欲しい。手間はかかるが乙な食べ方もあったものだ。

 あぁ、あの釧路で食べたサンマで“わた焼き”やったら旨いだろうなぁ。

---つづく---

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2005/04/05

結果オーライ!の1

 二十数年前、中学も終わりの頃。当時の担任が、「これからは学歴と同じくらい、手に職を付けた者が有利な時代になるよ。」...みたいな事を吹聴しつつ、工業高校への進路を強く推薦していた。その影響もあって、その学年は商・工業系への進学希望者が多かった気がする。当然担任だった俺のクラスは、更に他のクラスより希望者が多かった。なるほど工業高校ねぇ。そもそも普通科の勉強がこれ以上必要かどうか常々疑問に思っていた俺にとって、新しい選択肢が提示されたわけだ。(似たような三年間を過ごすくらいなら、工業高校ってイイかも!)キッカケはそんな理由だったが、とりあえず技術系の学校に進路を定めた。とはいえ、そんな安直な理由の他に、両親の教育方針も大きな影響を及ぼしていたのも間違いない。中学入学時あたりから、

「高校卒業したら、面倒を見るつもりは無いから、そのつもりで居ろ。」

と、俺は言われ続けていたのだ。そのことに別段不満はない。親としては自立心を育てるつもりでの発言だったろう。むしろ俺は望むところだと受け止めていた。頭で理解はしていたが、さて、具体的に自分がどのように生きて行けばいいのか、当時の俺には良く見えていなかった。いっそ、中学出たら働いちゃうというのはどうよ、とも思っていたぐらいだ。思春期にありがちかも知れないが、ホント、家(両親との生活)が窮屈で仕方がなかった。(工業高校かぁ。)...閉塞感に包まれていた時に、新たな道が示されたようだった。

 とりあえず工業高校へ進路を決めた俺であったが、工業と言っても様々な“科”がある。希望する高校には、建築、土木、電気、電子、デザインの、五つがあった。その中で一番興味があったのは、デザインだったのだが、担任に伝えると、「これからはコンピュータの時代だよ、電子科も検討したらどうか。」と、言われる。心は既にデザイン科に決めており、おそらく心変わりすることも無いと思ったが、ま、検討の余地ぐらいあっても良いかと、願書提出ギリギリまで返事を待ってもらうことになった。
 提出期限の日。

「○○君、希望の科、決まった?」
「はい、デザイン科でお願いします。」

俺は、第一希望をデザイン科とし、第二希望を電子科とした。確かにコンピュータも面白そうだと、その時点では思うようになっていたのだ。
 工業高校の受験は、希望の科に合格が叶わなくとも、滑り止めとして他に第二希望を指定することが出来た。科が違えば同じ高校とは言っても、相当違和感があるはずだが、とにかくそういう制度になっていた。

 しばらく経ったある日。ホームルームで願書の確認書というか、控えみたいなものが個人個人に見せられた。よくよく見ると、........間違っている。

「あの、先生、第一希望が電子科になっているんですが.......。」
「電子科じゃないのっ?!」
「いや、デザイン科って言ったじゃないですか。」

担任は絶句している。俺は事の重大さが分っていなかった。

「.....○○君。もう変更できないよ。」
「えぇっ!」

今度は俺が絶句する番だった。もう、願書は既に提出済みであり、変更は出来ないとのこと。俺も動揺したが、担任はもっと深刻に狼狽えている。それまで、大人をそこまで困らせたことはない俺は、なんだかこちらが申し訳なくなってきた。(変更できないものをこれ以上ゴネても仕方がないよな。)しばらく間があってから、俺は言った。

「じゃ、電子科でいいです。」
「いいの?○○君、ホントにいいの?」
「いいですよ。」

ダメだと言ってどうなるものでもあるまい。
 後日、担任が誤解したのも、それなりの理由があった事が分る。もともと募集の際、高校側が要求する偏差値が、デザイン科よりも電子科の方が全然高かったのだ。つまり、デザイン科を第一希望にしても、第二希望が電子科では滑り止めにならず、そういう併願はあり得ないのだそうだ。つまりは俺が変な欲を出して電子科も良いかな、と、あり得ない併願をした時点で、お互いの間に誤解が生じた。担任が電子科が第一希望と思いこんでいたところに、「“デ”ザイン科」と言ったところで、「“デ”ンシ科」と聞き間違えるのも無理はなかったのかも知れない。

 と言うわけで、俺は電子科を受験する事になった。

---つづく---

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2005/04/03

勘弁してくれ!

 二日続けて同じ内容を書かない。これはこのブログを始めた当初に自ら決めたことだ。が、今回は内容こそ重複しないものの、先日の部長さんにもう一度登場願う。

 もう二年くらい前になるか、仕事の打ち合わせで部長さんにあった時、つい軽率な言葉をかけてしまったことがある。

「あれ? 珍しいじゃないですか、いつもは目が痛くなるほど派手な服で決めてるのに、今日は黒ですか。」

そう言った途端、隣にいた女性にたしなめられる。

「○○ちゃん(←部長さんの飼っていた犬の名前)が病気で死んじゃったのよ。」

だぁーっ! 大失態だ。こちらとしても、いつもより彼女(部長さん)が元気無さそうなので、わざわざ憎まれ口を叩いたのだが、いかにも軽率だった。黒い服来て元気無さそうなら、普通の人間なら気付くべきだ。(でもさ、彼女の会社って、お洒落で黒着てる人珍しくなかったんだもん。)彼女がどれほどの愛情を込めて生活を共にしていたか、彼女を少しでも知る者なら誰でも知っている。俺は、何とか謝るだけで精一杯だった。彼女が口を開く。

「いいのよ。」

.......痛々しかった。どこから湧き出るのか、バイタリティー溢れる鉄火肌の普段の姿からは想像も出来ない。随分と長いこと喪に服していたと記憶する。

 ペットロス。.......冗談じゃないね。ペットを飼うのも悪くはないが、大抵の動物は人間より遙かに短命だ。俺なんかそれを想像するだけで、もう勘弁願いたい。先日、干からびたマイマイ君を発見した時も、実は相当ショックだった。相手がカタツムリでもそうであるのに、ハッキリと人間に愛情を示す犬や猫なら居たたまれないことこの上ないに決まっている。そもそも俺は可愛いものに弱いのだ。特に子犬や子猫の可愛さと言ったら、俺にとってはむしろ暴力に近い。膝がプルプルしてしまう。このブログのプロフィールに使われている写真はダンボのぬいぐるみだが、これも去年だか一昨年だか、おもちゃ屋で一目見た瞬間、売り場から離れられなくなってしまい.......、結局嫁に買わせた。37 の男がですよ、自分で買うことも出来ずに買ってもらっちゃったわけです。いいじゃん、別に。

 日本でペットと言いましても犬か猫が主流なわけで、犬派、猫派に大別しますと、俺は猫派なわけです。犬が嫌いなわけではないのよ。好き嫌いで言えばどちらも同じくらい好きだが、実家にいた頃は実際に猫を飼っていたこともあり、どちらかと言えば猫を選んでしまう。が、理由はそれだけでもない。
 最近は猫を飼うと言っても、完全に家猫にしてしまうことも多いようで、ひょっとしたら知らない方も多いかも知れんが、猫は自分の死んだ姿を飼い主に見せないものだ。死期が近づくと、ある日突然居なくなる。俺は飼い猫の死んだ姿を見たことがない。猫の本心はどうであれ、俺はそれが猫の美学なのだと思っている。
 猫ってのは不思議なもので、飼い主を飼い主と思っていないフシがある。当時、自宅からちょっと離れたところで、塀の上を歩いている我が家の愛猫に遭遇することも偶にはあったが、見つけたこちらが声をかけても、猫はこちらを一瞥するだけで、まるで他人事のようにそそくさと行ってしまう。家では愛嬌良くまとわりつくクセにさ。
 ま、奴らのその我が道を行くクールな生き様のお陰で、別れもちょっとハードボイルドになる。切ないことに変わりはないが、空を見上げて「達者でな。」という感じだ。(達者でというのも変な話しだが、死の実感が無い分、ついそんな気持ちにもなる。)

 と、ここまで書いて、TV 映画から大好きな曲、オペラのネッスンドルマ(誰も寝てはならぬ)が流れてきた。思わず聞き入ってしまった。名曲だなぁ。
 うむ、今日はまとめることが出来ん。

 つまりだ、俺はペットを看取りたくないのだ。動物を飼っている人に対して批判するつもりはない。断じてない。単に悲しみに遭遇したくないという、最低限の覚悟が出来ない自分を自覚しているだけであり、あえて飼わないことも、俺なりの動物への敬意であり愛情の一つだと思っているのだ。

※ コメントいただいた皆様へ。本日お出かけのため LUKE は疲れてしまいました。お返事は後日と言うことでご勘弁。

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2005/04/02

無料サービスだからって!

 某外資系企業の部長さんから久しぶりの電話。そのお方は渋谷の一等地のマンションに住んでるのだが、建物自体は古く (そうは言っても豪華な作りで、部屋の床など大理石だよあんた。冬は寒いっつうの!)、インターネットの通信環境に関しては今までダイヤルアップに甘んじていた。これではさすがにやってられん!と言うことで、物は試しと Yahoo! BB に加入を決めたようだ。ところが無料セットアップサービスに来た技術者が、接続トラブルで音を上げたらしく、俺のところにお鉢が回ってきた。

「...と言うわけで、近いうちに来て下さらない?」(部長さんは女性である。)
「構わないですよ、あ、でも今サービスマンがいるなら電話代わってもらえますか。一応状況を確認しておきたいんで。」

 さて、どんなトラブルなのかと尋ねてみると。


  1. モデムはリンクしているが、WEB ページが表示されない

  2. IP アドレスは取得出来ている

  3. ネットワークアダプタのドライバも正常のようだ

  4. 技術者持参のノート PC では問題ない


ここまで聞き出したところで、技術者が「私としては、これ以上時間をかけられないので帰りたい。」みたいなことを漏らす。おめぇそれでもプロか!と、ちょっとムッときたが、反面、彼らがいかに安い単価で働かされているのかもよく知っているので、解放してやることにした。電話を部長さんに代わってもらい、俺が訪問する日を決め、しばらくトラブルの原因をあれやこれやと想像してみる。ふむ、.......あっ! そういえばある種のネットワークアダプタで、MAC アドレスの問題が出ていたっけ。それかも!あぁ、MAC アドレスがどうなってるかだけでも聞いておけば良かったなぁ。ま、いいや。あとは現場で何とかするしかない。なにせ当の部長さんといったら、技術的な話しは元より、パソコンの機種を聞くのもはばかれるくらい機械音痴だ。使うことに関しては人並み以上なのになぁ。

 さて訪問当日(昨日)、パソコンの設定を調べてみると、これと言って問題はない。モデムのランプや、MAC アドレスも正常だ。これで何で WEB ページが表示できないのか不思議である。ひょっとして、ものすご~く基本的な事なのかと思い、インターネットの接続設定を見直す。ビンゴ! LAN の設定で余計な項目が有効になっている。こんなところは通常のブロードバンド設定では触らない。おそらく技術者が適当に変更してしまったのだろう。PC に電源を入れてから 5 分もかからず解決した。
 しかし情けない。その技術者が経験不足なお陰で、部長さんは俺に仕事を依頼することになったのだ。とんだ出費である。メール設定や BB TV のセットアップを行いつつ、気の毒なので、念入りに PC のメンテナンスをしてあげることにした。

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