2005/05/12

結果オーライ!の2

 高校受験の際、担任の聞き違いで希望外の電子科を受験する事になった俺であったが。

 前回からの続き。
 デザイン科と電子科といったら全然違うわけで、今思えば良くもまぁその間違いを受け入れたものだと思う。物わかりの良い奴だったに違いない。
 さて、間抜けな事に高校受験当日に気がついた事がある。試験会場は科ごとに分かれており、俺は電子科の会場に入ったときに自分の不覚さに呆れ目眩がした。

(男ばっかりじゃん!)........(@_@)

 だいたい共学とはいえ、工業高校なんてものに受験する女の子は相当珍しい(当時)。女子が一人もいないところも珍しくなく、ひょっとしたら学校によっては、十分な受け入れ態勢も出来ていないかもしれない。ところが、デザイン科を併設しているところは話は別で、デザイン科に女子が多いため、その他の科にもちらほら女の子がいたりする。俺の受験した高校は格別多かった。(ま、多いと言っても各科に1~2名なんだが。)
 俺がデザイン科を希望していた理由は、もちろんその方面に興味があったのも事実だが、男女比率が半々であり、きっと“健全な”高校生活を送れるであろうと目論んでいたからだ。しかし、あてが外れたというか電子科を受験する羽目になっても、受験当日まで女子が少ない科だという事をすっかり忘れていた。

(なんてことだよ、このむさ苦しい空気。合格したところで地獄と一緒だなこれじゃ。女の子は、と........あ一人........二人ってとこか。少ねぇなぁもう、でも割と可愛いじゃないの、たのむから受験に失敗しないでくれよ。)

 これからすぐに試験だというのに相当落ち込んだ俺であった。やっぱりゴネ倒してデザイン科にすれば良かったかも。

---つづく---

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2005/04/20

大村はま という人がいた!

 昨日、埼玉県の小学校で、新人の教諭が自殺なされたそうだ。ここ最近の平均で、ひと月に六人の教員が自殺という形で亡くなっているとのこと。いくら何でも多過ぎる。

 教師というものを職業として捉えた時、随分と割に合わない仕事だと俺は思っている。彼らには残業手当さえ支給されない。一生懸命仕事をすればするほど自分の首を絞めることになる。挙句の果てに、仕事を自宅に持ち帰る。学校にいる時間だけでは終わらないからだ。この、個人情報にうるさいご時世でも、生徒の成績表の紛失・盗難が減らないのには、そういう背景がある。
 もちろん当人や学校側にも問題があるのも事実。彼らの作業は非常に効率が悪い。民間ならどんな些細なことでも合理化するところだが、学校という場所にはそう言う発想がほとんど無い。仮に、一教師が合理化を申し出ても、学校という事なかれ主義の環境では黙殺されるだけだ。改善案が協議されることもなく、毎回潰されるようでは、教員自身からそういう意識が無くなったところで、誰が彼らを責められる? かくして、やらなくても良い作業に手間取り、本来なら生徒や児童に割く時間がどんどん減って行くのだ。
 多かれ少なかれ、教職に対する特別な想いがなければ、この職業は続けられないだろうし、そこに責任を感じるからこそ自殺者も絶えないのであろう。

 先日、蘊恥庵庵主 さんのブログで、大村はま先生の存在を知った。嫁に言わせると、教育関係者で知らぬ者はいないとのこと。早速 Web で検索すると、出るは出るはの情報の嵐。その中で目にとまった文字が『灯し続けることば』であった。同名著書の三頁だけ立ち読みできるようなので拝見してみる。目眩がするほど感銘を受けた。これらの文章は、教育に携わる者への一方的な叱咤激励では断じてない。慈愛に満ちた応援歌であり、謙虚に、胸を張って、共に学べ、共に歩めと俺には聞こえる。

 教育の混沌に対峙し、それに押しつぶされそうになった時、先生の存在が胸にあったなら、これ程までに自殺者が増えることもなかったのではないか。

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2005/04/05

結果オーライ!の1

 二十数年前、中学も終わりの頃。当時の担任が、「これからは学歴と同じくらい、手に職を付けた者が有利な時代になるよ。」...みたいな事を吹聴しつつ、工業高校への進路を強く推薦していた。その影響もあって、その学年は商・工業系への進学希望者が多かった気がする。当然担任だった俺のクラスは、更に他のクラスより希望者が多かった。なるほど工業高校ねぇ。そもそも普通科の勉強がこれ以上必要かどうか常々疑問に思っていた俺にとって、新しい選択肢が提示されたわけだ。(似たような三年間を過ごすくらいなら、工業高校ってイイかも!)キッカケはそんな理由だったが、とりあえず技術系の学校に進路を定めた。とはいえ、そんな安直な理由の他に、両親の教育方針も大きな影響を及ぼしていたのも間違いない。中学入学時あたりから、

「高校卒業したら、面倒を見るつもりは無いから、そのつもりで居ろ。」

と、俺は言われ続けていたのだ。そのことに別段不満はない。親としては自立心を育てるつもりでの発言だったろう。むしろ俺は望むところだと受け止めていた。頭で理解はしていたが、さて、具体的に自分がどのように生きて行けばいいのか、当時の俺には良く見えていなかった。いっそ、中学出たら働いちゃうというのはどうよ、とも思っていたぐらいだ。思春期にありがちかも知れないが、ホント、家(両親との生活)が窮屈で仕方がなかった。(工業高校かぁ。)...閉塞感に包まれていた時に、新たな道が示されたようだった。

 とりあえず工業高校へ進路を決めた俺であったが、工業と言っても様々な“科”がある。希望する高校には、建築、土木、電気、電子、デザインの、五つがあった。その中で一番興味があったのは、デザインだったのだが、担任に伝えると、「これからはコンピュータの時代だよ、電子科も検討したらどうか。」と、言われる。心は既にデザイン科に決めており、おそらく心変わりすることも無いと思ったが、ま、検討の余地ぐらいあっても良いかと、願書提出ギリギリまで返事を待ってもらうことになった。
 提出期限の日。

「○○君、希望の科、決まった?」
「はい、デザイン科でお願いします。」

俺は、第一希望をデザイン科とし、第二希望を電子科とした。確かにコンピュータも面白そうだと、その時点では思うようになっていたのだ。
 工業高校の受験は、希望の科に合格が叶わなくとも、滑り止めとして他に第二希望を指定することが出来た。科が違えば同じ高校とは言っても、相当違和感があるはずだが、とにかくそういう制度になっていた。

 しばらく経ったある日。ホームルームで願書の確認書というか、控えみたいなものが個人個人に見せられた。よくよく見ると、........間違っている。

「あの、先生、第一希望が電子科になっているんですが.......。」
「電子科じゃないのっ?!」
「いや、デザイン科って言ったじゃないですか。」

担任は絶句している。俺は事の重大さが分っていなかった。

「.....○○君。もう変更できないよ。」
「えぇっ!」

今度は俺が絶句する番だった。もう、願書は既に提出済みであり、変更は出来ないとのこと。俺も動揺したが、担任はもっと深刻に狼狽えている。それまで、大人をそこまで困らせたことはない俺は、なんだかこちらが申し訳なくなってきた。(変更できないものをこれ以上ゴネても仕方がないよな。)しばらく間があってから、俺は言った。

「じゃ、電子科でいいです。」
「いいの?○○君、ホントにいいの?」
「いいですよ。」

ダメだと言ってどうなるものでもあるまい。
 後日、担任が誤解したのも、それなりの理由があった事が分る。もともと募集の際、高校側が要求する偏差値が、デザイン科よりも電子科の方が全然高かったのだ。つまり、デザイン科を第一希望にしても、第二希望が電子科では滑り止めにならず、そういう併願はあり得ないのだそうだ。つまりは俺が変な欲を出して電子科も良いかな、と、あり得ない併願をした時点で、お互いの間に誤解が生じた。担任が電子科が第一希望と思いこんでいたところに、「“デ”ザイン科」と言ったところで、「“デ”ンシ科」と聞き間違えるのも無理はなかったのかも知れない。

 と言うわけで、俺は電子科を受験する事になった。

---つづく---

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2005/03/10

教育って何よ?パート3

 またもや前回より随分時間が経過してしまったが、パート3だ。

 さて、ここまでだらだら引っ張ってきてしまったが、教育って何だろう。

 子供達が学校で過ごす時間のうち、大半を占めるのが授業であろう。学業を修めさせることは学校の果たすべき主たる目的であるから、巷で騒がれる学力の低下や、それに伴って授業の質、教員の能力が問題になることは、まぁ不自然な話しでもない。しかしだ。あえて無視する。俺の持論はこうだ。学校とは子供達が社交性を磨く場所であり、他者と自分という関係を認識し、構築する場所だ。それが無理でも最低限、“世の中色んな奴がいるんだね”ということが分ればそれで良いとさえ思う。その中で教師に科せられる最大の仕事は、子供達へ自分の生き様を見せることでは無かろうか。「大人も辛いんだな」とか、「人生ってのも悪くなさそうだな」とか、「あんな風にはなりたくねぇ。」とか。

 俺が通った高校の数学教師は傑作だった。生徒が、そこ分りませ~ん! と質問するなり、黒板から振り返って一言。

「数学は、フィーリングです。」

それは真理であるが、説明を放棄した時点で数学教師としては失格かもしれない。しかし生徒の受け取り方は様々であった。そんな言い方は無いだろうと反発する者。拍手喝采して茶化す者。その言葉を良く理解出来ない者。俺のように妙に感心してしまう者。
 今振り返ってみても、それはそれで良い勉強になったと俺は思うのだ。

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2005/02/12

教育って何よ?パート2

 前回より随分時間が経過してしまったが、パート2だ。

 テレビを録画するため、ビデオテープの内容を確認したら、おそらく正月特番であろう「TV タックル」が録画されていた。わざわざ録画したのだから気になる内容なのかな、と、再生してみる。おお! 教育に関してのテーマで討論がなされているではないか。(俺ってこんなに教育熱心だったっけ?)多少自分に苦笑いしながら、結局最後まで観賞したわけである。
 番組の流れを大幅に簡略化するとこうなる。


1.「子供達の学力が低下している?」

2.「ゆとり教育は間違いだったか?

3.「教師の質が低下しているのではないか?」

4.「良い教師とは?」

 上記全てに言えることであるが、何を基準に、どう計ればいいのか非常に難しい。発端となった学力低下についてさえも様々な見方があり、一概に低下したとは言えないようだ。マスコミの報道の仕方も悪い。「生まれ変わりを信じる子供が何%」だの「赤十字をアカジュウジと読む子供達」だの、まるでそれが悪いことであるかのように煽り立てる。そもそも前者に至っては宗教的な話しであり、学問とは区別するべきだ。生まれ変わりを信じることが常識の欠如や学力の低下だというのであれば、そのような宗教観を持つ大人達の存在の方を問題にすべきだ。また、後者に至っては、赤十字を知らない人間にセキジュウジと読ませることは不自然であり、むしろアカジュウジとさえ読めないのであれば、それを問題にすることも理解出来なくもない。マスコミは何をヒステリックになっているのだろうか?やれやれ。

つづく。

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2005/01/26

教育って何よ?パート1

 なんでも、子供の学力が低下(注1)しているそうで、原因として「ゆとり教育」が槍玉に挙げられている。そもそも「ゆとり教育」を導入した時点で、ある程度の学力低下は織り込み済みではなかったか。何を慌てているのか俺にはサッパリ分らない。

 二、三週間前だったと思うが、朝のテレビ番組は、いつにない空気に包まれていた。キャスタとコメンテータがハッキリと対立していたのである。これは、朝という時間帯としては珍しいことである。大抵は両者共に当たり障り無いことを事を言い、もっともらしい問題提起をして次の話題へと流れて行くわけであるが、この日、学力低下の報道を受け、
「これは由々しき問題である。」
と、数人のコメンテータが発したところ、メインキャスタである小倉智昭氏一人、
「どうでもいいじゃん。それって大した問題なの?」
的発言をした途端、コメンテータ達から集中砲火を浴びることになる。
 ははは、彼らの(急に何を言いだすんだこの人は?!)というその狼狽した表情&視線が見ていて痛快であった。(人間だと思って話しかけたら実は爬虫類だった場合などに、人はあのような表情をするのだと思う。)おそらく、その日のニュース番組やワイドショーで、あのような発言をしたキャスタは彼ただ一人であったろうし、現在までも「「ゆとり教育」の性急な見直しに対し警鐘を鳴らしているのは一部の学者くらいなものである。

 かくも学力神話は根深い。

 この後、「教師の質が低下しているのではないか?」という話題から、「良い教師とは何か?」という話題へと流れて行くのであるが、これがまた傑作であった。が、本日はここまで。


※注1
学力低下といっても、それを具体的に証明することは難しいようである。
一方で、私たちは「ゆとり教育」の即刻中止を求めます!!←ここまでくれば、もはや何とも...。単なるヒステリーとしか思えんでしょ。(^_^;)

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