2005/05/07

「便利になった」ことにしてやる! の2

 普段、仕事はデスクトップのパソコン(以下“PC”)でこなしている。自宅二階の一室が仕事部屋で、仕事はそこでしかしない。ネット検索や趣味的な PC 利用も以前はそこで行っていたが、それでは家庭内別居状態になってしまう。さすがにイカンと思い、半年くらい前から一階の居間にノート・PC(以下“ノート”)を下ろして、プライベート利用に使うことにした。テーブルの上に 16 インチ型のフルスペック・ノートを置きっぱなしにしているので、嫁はあまりいい顔をしない。人の気も知らないでさ。

 だいぶ前からノートのハードディスク(以下“HDD”)に空きが無くなってきていた。使い続けていればいつかはそうなるのが PC の常なのである。最近は、なけなしの空き容量をやりくりすること数ヶ月。不毛な戦いに疲れ、ここは思い切ってハードディスクを容量の大きなものに載せ替えることにした。
 HDD の換装自体は簡単な作業だが、PC というものは使える状態にするまでが大変だ。今まで使っていた環境を素直に引き継ぐなら、専用ソフトを使って丸ごとバックアップすることもできる。できればそうしたかったが、やや不具合の兆候が見られたため、やむを得ず断念。ここはあえて茨の道を選ぼう。
 まずは念のため、新しい HDD のチェックを行う。これだけで小一時間、新しいOS のインストールと PC のパッチを当てるだけで、ゆうに数時間かかった。さらに必要なソフトを追加すること延々半日。この間、必要に迫られ再起動も数え切れないくらい行われた。途中でデフラグという、HDD のデータ整理をはさみ、旧データを移行してほぼ終了。

 疲れ果てました。

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2005/04/18

俺のアイデンティティを返せ!

 昨日は、普段からお世話になっている友人 N 氏のピンチヒッターとして、とある会社のパソコン設定業務にかり出された。こういう業務には珍しく、作業自体に大きな問題もなく、予定時間を一時間繰り上げて帰宅することが出来た。のだが、今日は非常に気持ち悪い思いをしたよ。
 本日、担当者と会った一言目で、「今日は一日、“山田浩”(仮名)という名で通してください。」と言われる。つまり本来やってくるはずの男は山田浩(仮名)さんであり、そのピンチヒッターである俺は、今日一日その当人になりきらねばならない。せめて、俺にこの話を紹介してきた友人の N 氏の名であるなら、まだ気分的にも納得できる。しかし、見ず知らずの人の名を名乗るというのは思っていたより気持ちの悪いものだ。

 パソコンの設定というのは、実はそんなに難しい作業ではない。ただ、一見単純そうな設定でも、作業工程を羅列すると結構な数に上るため、単純にミスを起しやすい。日常生活ではアバウトで済むことも多いが、パソコンの場合は一カ所設定を間違うと、テコでも正常に動かないというのが厄介なところ。そんな理由から、こういった作業には作業工程のチェックシートが毎回不可欠だ。うっかりミスを防ぐため、作業員はチェックシートとにらめっこしながら、粛々と設定を行って行く。で、その最後におきまりの署名を行わなければならない。このパソコンを設定したのは、この俺であると。ところがだ、それが全然別人でしかも見ず知らずの名を記入するとなると、本当に気持ち悪い。一台に付き、ペンによる署名と、キーボードでの入力の二回ほど、俺は山田浩(仮名)という名前を記入し続けた。書く度に

「俺は山田浩(仮名)じゃねぇ!」

という思いがこみ上げる。
 家に帰ってまず行ったことは、紙に自分の名前を書くことだった。普段当たり前のように書いている自分の名前。それを書くことが、こんなにも気分の良いことだったとは!

 陰陽師(原作:夢枕 獏)という作品がある。この中で、全ての名前は“呪”であり、そのものを、それとしてあらしめる源であると同時に、そのものを、それに限定するための“縛り”であるといった下りがある。言霊ともいえる。ちなみにこのブログからリンクさせてもらっている 蘊恥庵庵主 さん(このお方、現役の高校教師で国語の先生なのだ。この人の授業は面白いだろうなぁ。)のブログ 不二草紙 本日のおススメ“京都議定書発効…「集団気分」と言葉”という項にも言霊に関する考察があり、非常に興味深い。勝手に引用させていただく。

 これが言葉の恐ろしさです。集団気分を作るのは、間違いなく言葉の機能の一つです。「いじめ」も「ひきこもり」も言葉が作り上げた世界です。

 人はいかに言葉(文字)の生き物であるかと思い知らされる。言葉は良くも悪くもカテゴライズする性質がある。
 俺の嫁が小学校の先生だということは、ここで触れたかどうか定かでないが、先生なわけです。でもって、時々会話の中で気になるのが、ADHD(注意欠陥・多動性障害)などという言葉。昔なら落ち着きのない子で済んだところを、ADHDと呼ぶ(カテゴライズする)ことで、まるで病人のようにしてしまう。人間とは一人残らず病人であるという正しい認識の元で、そのような会話がなされているのであれば、あまり問題はないと思われる。しかし実際はどうか。幸い、嫁はその危険性も十分に理解している。ただ、教育の現場では、どうしてもそういう観点から、物事捉える必要もあるようで、事は単純でもないが。

 名前で思い出した。俺は東京芸術大学を受験するために、何年か大学入試センター試験というのを受けたことがある。(結局合格は叶わなかったが、今だって受けようと思えば受けられるのだ、挫折した覚えもなけりゃ、あきらめた覚えもない。)毎年、国語の試験は俺にとって楽しみであった。長文読解の問題に出される例文が、誠に素晴らしい。ある年の試験では、問題に感動して解答用紙を涙でぬらし、ある年の問題ではその哲学的な考察に圧倒された。大学の教授というものはこういう素晴らしい文章に囲まれ、研究を続けているものなのかと、心底感心したものだ。
 いつの年だか記憶が定かでないが、その例文に名前に関する考察があった。痛く感動した割りにはしっかり内容を覚えていない。近いうちに図書館へ行って、当時の入試問題を探してみたくなった。もう一度読み返す事が出来たなら、またこの項の続きを書きたい。

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2005/04/02

無料サービスだからって!

 某外資系企業の部長さんから久しぶりの電話。そのお方は渋谷の一等地のマンションに住んでるのだが、建物自体は古く (そうは言っても豪華な作りで、部屋の床など大理石だよあんた。冬は寒いっつうの!)、インターネットの通信環境に関しては今までダイヤルアップに甘んじていた。これではさすがにやってられん!と言うことで、物は試しと Yahoo! BB に加入を決めたようだ。ところが無料セットアップサービスに来た技術者が、接続トラブルで音を上げたらしく、俺のところにお鉢が回ってきた。

「...と言うわけで、近いうちに来て下さらない?」(部長さんは女性である。)
「構わないですよ、あ、でも今サービスマンがいるなら電話代わってもらえますか。一応状況を確認しておきたいんで。」

 さて、どんなトラブルなのかと尋ねてみると。


  1. モデムはリンクしているが、WEB ページが表示されない

  2. IP アドレスは取得出来ている

  3. ネットワークアダプタのドライバも正常のようだ

  4. 技術者持参のノート PC では問題ない


ここまで聞き出したところで、技術者が「私としては、これ以上時間をかけられないので帰りたい。」みたいなことを漏らす。おめぇそれでもプロか!と、ちょっとムッときたが、反面、彼らがいかに安い単価で働かされているのかもよく知っているので、解放してやることにした。電話を部長さんに代わってもらい、俺が訪問する日を決め、しばらくトラブルの原因をあれやこれやと想像してみる。ふむ、.......あっ! そういえばある種のネットワークアダプタで、MAC アドレスの問題が出ていたっけ。それかも!あぁ、MAC アドレスがどうなってるかだけでも聞いておけば良かったなぁ。ま、いいや。あとは現場で何とかするしかない。なにせ当の部長さんといったら、技術的な話しは元より、パソコンの機種を聞くのもはばかれるくらい機械音痴だ。使うことに関しては人並み以上なのになぁ。

 さて訪問当日(昨日)、パソコンの設定を調べてみると、これと言って問題はない。モデムのランプや、MAC アドレスも正常だ。これで何で WEB ページが表示できないのか不思議である。ひょっとして、ものすご~く基本的な事なのかと思い、インターネットの接続設定を見直す。ビンゴ! LAN の設定で余計な項目が有効になっている。こんなところは通常のブロードバンド設定では触らない。おそらく技術者が適当に変更してしまったのだろう。PC に電源を入れてから 5 分もかからず解決した。
 しかし情けない。その技術者が経験不足なお陰で、部長さんは俺に仕事を依頼することになったのだ。とんだ出費である。メール設定や BB TV のセットアップを行いつつ、気の毒なので、念入りに PC のメンテナンスをしてあげることにした。

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2005/03/03

「便利になった」ことにしてやる!

 ひと月ほど前から、愛用のノートパソコンの液晶画面が暗くなり始めてきた。おそらくバックライトの寿命だろう。だましだまし使って、確定申告を終了させた後に修理に出す予定であったが、今日、このブログの記事を作成中に、ぷっつりと画面が消えてしまい、大変忌々しい思いをした。書きかけの記事を救出したかったが、残念ながらそれも叶わず。.....ショック。
 パソコンはいつか壊れる。分かっちゃいるが、いざ壊れてみると非常に厄介だ。デスクトップの方は自作故に、故障しても何とか対処は出来る。ところがメーカー製ノートの場合、故障箇所が判明したところで、修理センターへ出すしか対処法がない。おそらく一週間は待たされるだろう。これが痛い。
 PC は便利だが、いつも快適に使うには、普段から小まめにメンテナンスしないと、だんだん不具合が蓄積してしまうものだ。常にハードやソフトの最新情報を仕入れておく必要もある。つまり、便利に使う人間ほど、受ける恩恵以上に、PC に手をかけている(というか手を焼いている?)ものだ。そして、ヘビーユーザーほど故障時の物理的・金銭的ダメージよりも、精神的ダメージの方が大きい。壊れる度、俺は思うのだ。

「パソコンなんて無い方が幸せだったりしてな.......。」

 逆説的に言えば、PC が厄介な存在であるからこそ、俺のように PC で金を稼ぐことも可能なわけでもある。分かっちゃいるが、何処か腑に落ちない、納得できない自分がいる。PC ってホントに便利なのだろうか?

 便利なのか?といえば、携帯電話もそうだなぁ。ちょっと前まで存在すらしていなかったこのデバイス。今や誰もが持っている。昔の小説やテレビドラマが色あせて見えるのは、この通信機器が存在していないからで、

「そんなこと電話かけりゃ、済むことだろうが!」

...って、つい思ってしまうシーンも多い。ケータイなんて昔は無かったんだよなぁ。全く感慨深いよ。

 なんだか何者かに便利にさせられた分だけ、何者かに振り回されている気がする。

 嗚呼、今日はつまらない記事しか書けない。それだけ落ち込んでいる俺であった。

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