2005/04/30

目も当てられない!

 JR福知山線の大事故は、106 人の犠牲者を出す大惨事となってしまった。現在は救助活動も終わり、本格的な原因究明作業の段階にある。

zoku ここで一冊の本を紹介したい。続々・実際の設計 失敗に学ぶ である。1996 年初版の本であるが、数々の失敗事例を考察し、何故失敗は起こるのか、失敗とは何かを、失敗の階層性、失敗情報の特性、失敗の学習方法、失敗学習の効果、失敗体験の必要性、教師の失敗教育方法等について論ぜられた希有な著作である。
 失敗例は、御巣鷹山の日航機墜落事故や、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故、アメリカのスリーマイルやロシアのチェルノブイリ原発事故などにもおよび、前例となる同様事故との比較考察など、読み物として非常に興味深い。
 著者は語る。

 重大事故は複数の原因が複合して発生する。(中略)大きなシステムが、単純な原因で重大事故を起すことはまず無い。しかし、確率的には低いものの、それらがいくつか複合したときに重大事故が発生する。そのような場合、個々の原因に前例があっても、全体の事象としては初めてのケースの事故と受け取られる。

 福知山線の事故にも充分当てはまるだろう。そもそも列車事故など滅多に起こるものではないのだ。秒単位に管理された過密なスケジュールでありながら、殆ど事故を起さない日本の鉄道は、やはり相当に優秀なシステムを持っている。ラッシュ・アワー時の運行は、利用者の振る舞いもシステムの一部に組み込むという、先進的な発想を用いて実現している。今回の事故は悲惨な事件であるが、そうであっても、今までの誇るべきシステムまで否定するものではないと思う。何重ものフェイルセーフ(安全対策)が施されてなお、何故、大惨事となったのか、そこをハッキリさせなければ死者も浮かばれないであろう。

 著者は語る。

 多くの失敗をした設計者ほど良い設計をする、とも言われている。事実としてはその通りであろうが、この経験重視の指導法はどこかおかしい気がする。なぜなら普通は失敗し続けたら設計するチャンス自体が再び回って来なくなるからである。
 一方、学生や若い設計者の設計指導をしてみると、通常の指導方法に大きな欠陥があることに気づく。それは経験重視とは逆に(中略)設計の正解だけを教えていることである。

 失敗を重ねた人間ほど、正解への道筋に詳しくなるが、まさか電車の運転手が失敗を重ねて経験を積むわけには行かないのだ。そこで必要なのは失敗談の継承だ。過去の失敗を我が物とし、将来踏む轍を前もって予測、回避するしかない。
 脱線のメカニズムは物理的な原因だけではない。運転手のメンタルに対するプレッシャー、会社の経営方針、公共交通機関に対して利用者が要求するもの、それら全てのベクトルが、あの時あの場所へと向かったために、何重ものフェイルセーフも容易く突破され脱線事故を形成してしまったのだ。今は一つ一つ要因を明らかにすることに専念するしかない。問題は、どう継承するかだ。

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2005/03/29

その後の「つぐみ、どこにいるの?」

 良かった良かった。連日気がかりではありましたが、本日、サイト“娘が帰ってきました”とのご報告あり!良かった良かった。

 話変わって。
 この事件、話題性もあってか、親子に対して一部の心ない人間のバッシングが非常に目立った。親にとってはワラをも掴む思いであったろうに、そういう困っている人に対し、あれやこれや詮索したり、不安を煽る書き込みをして一体なんになるのか。

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2005/03/25

つぐみ、どこにいるの?

 つぐみ、どこにいるの?←つぐみチャン(小学5年生11歳の女の子)が失踪してしまったとのこと。お母様が急遽立ち上げられたブログです。皆様よりの情報を求めております。

 微力ではございますが...。

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2005/03/20

全面降伏!

 竹島問題というか独島問題というか、...嗚呼、つくづく残念ですな。昨今の韓流ブームは、両国にとって待ちに待った好機ではなかったか。この奇跡の到来は今回の問題でアッサリ流れてしまうわけ?...嗚呼。
 結局調べれば調べるほど、俺には両国それぞれの主張には決定打を欠くとしか思えない。そして、問題をこじらした原因は、両国が長期にわたってこの問題をうやむやにしていたことではないか。とっとと両首脳が会談を設けて白黒決着付けてくれよ。む?よくよく考えれば、この問題を解決するには友好ムード高まる今しかない気もしてきたな。まさかそれを見越しての竹島の日制定か?だったらいいなぁ。

 俺が韓国との問題に興味を持つようになったのは、まぁ、土壌としては小学校での経験( 1 月 28 日のコラム「ダメだってさ!」)もあったのだろうが、好きな SF 作家、豊田有恒氏の影響でもある。氏の著書「イワシの頭」は諸外国と日本の文化の違いから生じる軋轢をコミカルに描いた連作短編集である。書題の「イワシの頭」(注)などは涙なしには読めない傑作。豊田氏の博識とみごとな見識に是非みなさんも触れていただきたいのだが、既に絶版、残念なことだ。(個人的には古書店を何軒か回ってでも読んで欲しいと思うくらいだ。)
 その作品が素晴らしく、氏の著作を他にも読み進めて行くうちに、氏が日本と韓国(朝鮮半島)問題のエキスパートだということが分った。氏は韓国と日本との友好を切実に願いながらも、ある一時期は絶望してしまう。熱すぎる韓国の国民性に対して、それでは会話の余地が全く無いではないかと。しかし、氏は次のように弁護もしている。朝鮮半島の過去二千年間を振り返ると、かの国は約二年に一度の割合で他国から侵略を受けている計算になるのだそうだ。(二年に一度だよ!信じられるか?)なんという悲しい過去を背負った民族なのであろうか。そういう背景を考慮すれば、過剰とも思える彼らの反応も理解出来るのではなかろうか、と。

 ワイドショーでは、ヨン様の追っかけオバチャンにコメントを求めていた。今回の問題により、韓国との関係が悪化しそうだが、それについてどう思うかと。オバチャンは即座に淀みなく、何恥じることなく答えたよ。残念な出来事だが、それでヨン様への気持ちが変わるわけはないと。
 正直俺は、韓流ブームなんて一時的なものだと思っていた。上辺だけのものだと思っていた。でもさ、思ってたより根付いているんじゃないかって、そのコメントを聞いてやっと理解した。
 彼女たちのことを多少みっともないとも思っていた自分を今では恥じている。争うことしか知らない野郎どもより、彼女たちの方が余程賢明だ。俺はこれから彼女たちが TV 画面に映るたびに手を合わせることにするよ。

 最早あなた方こそが最後の希望だ。誰もあなた方には敵わない。敵うものか。

※注)思いっきり間違えました。泣ける作品は書題の「イワシの頭」ではなく、「横メシ」であった。失敬!

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2005/01/28

ダメだってさ!

 一昨日だったか、東京都の国籍条項訴訟の最高裁判決ってのが下された。結果、在日韓国人の鄭(チョン)さんが都の管理職へと進む道は閉ざされてしまったわけである。何故ダメなのかその理由ってのをかいつまんで言えば、公権力を行使できるような立場につく人間として、外国籍の方は相応しくないってことらしい。一見もっともらしいけど、 そもそも日本に生活を根ざす在日の人たちを“外国籍”としてひとくくりして良いのだろうか? 鄭さんが管理職になったら都政が転覆されてしまったりするのだろうか? 都民に対して何か恐ろしい政策を打ち出したりするのだろうか?
 石原都知事も狭量な男である。
「まぁ、司法判断はこう出ちゃったけど、鄭さんの場合は別にいいんじゃないの。...基準?都知事としての俺の判断だよ、文句あんのか? あの判決にもそれなりに根拠があり、世の中建前も必要だけどな、それとこれとは分けて考える。文句あんのか?」
って言ってみればいいのに。(知事の会見も、この件に関しては珍しく歯切れが悪いんだよね。ちったぁ申し訳ないと思ってるのか、それとも過去の三国人発言を思うにつけ、本気で差別しているのか、そこら辺気になるねぇ。)

 某掲示板で、この件に関する書き込みを読むと、まぁ酷い!
 人によっては読むに耐えない“便所の落書き”呼ばわりされるこの巨大掲示板。初めて訪れる方には刺激が強すぎるかもしれんが、意外や意外、あまり一方的な意見に流されることもなく、世間の風評よりは数段まともな意見も散在したりして面白い。ところが話題が“在日”の方々に関するものだと、手が付けられないくらい荒れまくる。何故だ?

 小学校の時の友達のことを思い出す。仲の良い友達だったが、五年生に進級する時点で何の挨拶もなく転校してしまった。転校するならお別れ会でも開くだろうに、突然いなくなってしまったといった方がよいか、とにかく呆気にとられた。そのことを母親に話すと、
「あぁ、あの子朝鮮人(注1)だから、朝鮮学校に行ったんじゃない?」
と、いうではないか。(はぁ?!)いや、ビックリした。友達が朝鮮人だったことより、実際に合ったこともない小学生の息子の友達のことを知っている母親に驚いた。いくつか交わした会話に含まれた、当人も気付かない程度の侮蔑にも...。
 こういう問題がクローズアップされるたびに思い出す。
 小学校の階段を、その友達のあとから上って行くと、先に踊り場へ着いた彼が突然振り向き言い出した。
「なぁ、舌と舌をくっつけたらどうなるかな?ちょっとやってみねぇ?」
当時の俺に、唇と唇を合わせるものがチューであるという知識はあったが、舌と舌をくっつけるなどという斬新な発想はなかった。(なるほど、それは面白い!)承諾し、早速その場で二人は向き合い、お互いに舌を出しながら接近する。お互いが接触した瞬間、二人同時にのけぞった事を覚えている。
「うっ!気持ちわりぃっ!」
そう彼は叫んだが、俺などはその気色悪さに言葉も出なかった。その後、二人して馬鹿なことしちゃったなって感じで教室にでも帰ったのであろう。間もなく彼が居なくなるとは思ってもみなかったが。
 それが彼との最後の思い出でもあり、唯一思い出せる出来事だ。

 彼らと我らと何が違うというのだ。違うとすれば、違ってはならん理由は何だ? 彼らとは何だ? 我らとは何だ?
 いったい、いつまで引きずり続けるつもりなのか。

※注1
母親は朝鮮人と言っていたが、実際は韓国籍だったのかもしれん。
そういえば
「馬鹿でもチョンでも~」
って言葉の意味を知った時も衝撃的であったな。よく使われていた言葉であるが、それは既に慣用句であり、その意味を知っている人間でさえ、この言葉を発するたびに、一々差別感情を込めていたとも思えない。ハッキリ差別感情を表すより、こういう何気ないことの方が深刻で厄介なことなのかもしれん。

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