2011/06/29

誰もが理解出来ない男!

 日本中の誰もが「なにを考えているのかわからない」と言う男、それが現日本国首相の菅直人氏である。すごい話だ。(笑)

 でもね、やれ自民だ民主だやってる場合じゃないときに、あえて自分一人が悪者になって与野党を結束させ、重要法案をすんなり通過させるようなんてことが、現実に起きそうなんである。もしかして凄いお人なんでは?.......って、言ってみたかっただけです、ハイ。

 どうなるのかな、日本は。菅さん、どうせ転ぶなら良い方向に転んでくださいな。もう、政治に多くは望みませんから。

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2007/03/20

振り返ってみよう! の1

 さて、ブログ再開にあたり、さらっと書き進むのもなんだかな、ということで、失踪中だった 2 年間を振り返ってみよう。

 この間、色々あったけど、全国的に注目されたのは、'05年の衆議院選挙と、最近ホリエモンが一審で有罪になったライブドアの事件かなぁ、やっぱり。(その他の悲惨な事件は思い出すと憂鬱になるので却下。)
 衆院選の方は特に面白かったな。小泉劇場とは良くぞ言ったもので、人気主役の天晴れな采配が見事であったことだけは確か。記録的な圧勝となった自民党だけど、皮膚感覚として、そこまで皆さん郵政民営化に賛成していたのかい? と、当時疑問に思ったのが正直なところ。散々言われたけれど、後から集計されたデータによれば(ま、見方は色々あるんだろうが。)、与党と野党の得票率をそのまま議席数に当てはめれば、あんな大差にはならない。やっぱりね。これが小選挙区選挙の特徴なのだそうだ。
 民主主義というのはその権化のアメリカさんを見ても、二者択一を強制されるところがあって、まるでどっちか選ばないと先に進めないような強迫観念にとらわれる。「是か非か!」って感じだ。実際はどちらでもないことも多いだろうに。でも、それが民主主義というシステムの本質なら、小選挙区制度は案外マッチしているのかも知れない。意見が拮抗して事態が進捗しないより、少しでも情勢が有利な方が圧倒的なイニシアチブを取って邁進できる。負けた半数にとっては痛い話しだが、政策が失敗したなと思ったら、次の選挙でひっくり返すことも簡単に思える。チョット反対側に重心が傾けば、たちまち議席がひっくり返りそうだもん。
 そういえば、誰かが言ってたな、「民主主義とは多数決ではなく、少数意見を尊重することだ。」と。立派なご意見ですが、少数意見が反映される余地など全く見えない現状はどうよ?

 高校卒業後、俺は学童保育の指導員をやっていたことがある。学童というのは就学児を指す言葉で、小学校低学年の子供達を学校終了時から数時間あずかる仕事だ。両親共働きや母子・父子家庭等、子供達には様々な事情があるが、要するに親が働いている間、子供を一人にさせない措置、小学生版保育園だね。当時、場所は公共施設や、委託して民家を借りたりしていたが、最近は小学校そのものにそういった教室を設けているところもあるそうだ。
 ........う~む、どうも俺は説明が冗長になりやすいな。先に進もう。で、ある夏休み、その学童保育の子供達と親が一同に会し、何泊かのお泊まり会が開かれた。参加する子供の中には問題児もいて、期待を裏切らず問題を起こしてくれたが、それにしても色々と親の努力には脱帽させられた。宿泊最後の晩、子供が寝静まってからの反省会で、話題が福祉にのぼり、当時の問題がいくつも議論された。その中の障害者支援に関する話題で、一人の父親が言ったことを良く覚えている。

「自然界であるなら、切り捨てられる子供達。それを育てて行こうというのだから親も社会も大変なことだ。」

 身も蓋もないが真実だろう。少なくとも日本は弱者を切り捨てて“是”という社会ではないはず。しかし、大きな是非に、少数の声は造作なく埋もれてしまう。少数意見の尊重は何処へ行った? 昨年、障害者に対する自立支援法案が可決されたわけだが、全く持ってズレている。彼等には、逆立ちしたって自立できない一面がある。自立を支援すると言いながら、今まで以上に突き放してどうするつもりなのだ?

 世の中、是か非ばかりではない。色々な意見があるはずなのだ。片方が一人勝ちして、もう片方が全てを失うような世の中を本気で望むなら、敗者は死ねよと公言すればいいさ。俺はそんな殺伐とした世の中イヤだね。是か非ではなく、お互いが譲り合う意見がもっと議論されても良いはずなのに。

 ホリエモンの話しは次回だ。

※ 久しぶりに書くと、文章力が随分と落ちていることに気付く。多少言い回しなどを修正しました。

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2005/03/20

全面降伏!

 竹島問題というか独島問題というか、...嗚呼、つくづく残念ですな。昨今の韓流ブームは、両国にとって待ちに待った好機ではなかったか。この奇跡の到来は今回の問題でアッサリ流れてしまうわけ?...嗚呼。
 結局調べれば調べるほど、俺には両国それぞれの主張には決定打を欠くとしか思えない。そして、問題をこじらした原因は、両国が長期にわたってこの問題をうやむやにしていたことではないか。とっとと両首脳が会談を設けて白黒決着付けてくれよ。む?よくよく考えれば、この問題を解決するには友好ムード高まる今しかない気もしてきたな。まさかそれを見越しての竹島の日制定か?だったらいいなぁ。

 俺が韓国との問題に興味を持つようになったのは、まぁ、土壌としては小学校での経験( 1 月 28 日のコラム「ダメだってさ!」)もあったのだろうが、好きな SF 作家、豊田有恒氏の影響でもある。氏の著書「イワシの頭」は諸外国と日本の文化の違いから生じる軋轢をコミカルに描いた連作短編集である。書題の「イワシの頭」(注)などは涙なしには読めない傑作。豊田氏の博識とみごとな見識に是非みなさんも触れていただきたいのだが、既に絶版、残念なことだ。(個人的には古書店を何軒か回ってでも読んで欲しいと思うくらいだ。)
 その作品が素晴らしく、氏の著作を他にも読み進めて行くうちに、氏が日本と韓国(朝鮮半島)問題のエキスパートだということが分った。氏は韓国と日本との友好を切実に願いながらも、ある一時期は絶望してしまう。熱すぎる韓国の国民性に対して、それでは会話の余地が全く無いではないかと。しかし、氏は次のように弁護もしている。朝鮮半島の過去二千年間を振り返ると、かの国は約二年に一度の割合で他国から侵略を受けている計算になるのだそうだ。(二年に一度だよ!信じられるか?)なんという悲しい過去を背負った民族なのであろうか。そういう背景を考慮すれば、過剰とも思える彼らの反応も理解出来るのではなかろうか、と。

 ワイドショーでは、ヨン様の追っかけオバチャンにコメントを求めていた。今回の問題により、韓国との関係が悪化しそうだが、それについてどう思うかと。オバチャンは即座に淀みなく、何恥じることなく答えたよ。残念な出来事だが、それでヨン様への気持ちが変わるわけはないと。
 正直俺は、韓流ブームなんて一時的なものだと思っていた。上辺だけのものだと思っていた。でもさ、思ってたより根付いているんじゃないかって、そのコメントを聞いてやっと理解した。
 彼女たちのことを多少みっともないとも思っていた自分を今では恥じている。争うことしか知らない野郎どもより、彼女たちの方が余程賢明だ。俺はこれから彼女たちが TV 画面に映るたびに手を合わせることにするよ。

 最早あなた方こそが最後の希望だ。誰もあなた方には敵わない。敵うものか。

※注)思いっきり間違えました。泣ける作品は書題の「イワシの頭」ではなく、「横メシ」であった。失敬!

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2005/01/28

ダメだってさ!

 一昨日だったか、東京都の国籍条項訴訟の最高裁判決ってのが下された。結果、在日韓国人の鄭(チョン)さんが都の管理職へと進む道は閉ざされてしまったわけである。何故ダメなのかその理由ってのをかいつまんで言えば、公権力を行使できるような立場につく人間として、外国籍の方は相応しくないってことらしい。一見もっともらしいけど、 そもそも日本に生活を根ざす在日の人たちを“外国籍”としてひとくくりして良いのだろうか? 鄭さんが管理職になったら都政が転覆されてしまったりするのだろうか? 都民に対して何か恐ろしい政策を打ち出したりするのだろうか?
 石原都知事も狭量な男である。
「まぁ、司法判断はこう出ちゃったけど、鄭さんの場合は別にいいんじゃないの。...基準?都知事としての俺の判断だよ、文句あんのか? あの判決にもそれなりに根拠があり、世の中建前も必要だけどな、それとこれとは分けて考える。文句あんのか?」
って言ってみればいいのに。(知事の会見も、この件に関しては珍しく歯切れが悪いんだよね。ちったぁ申し訳ないと思ってるのか、それとも過去の三国人発言を思うにつけ、本気で差別しているのか、そこら辺気になるねぇ。)

 某掲示板で、この件に関する書き込みを読むと、まぁ酷い!
 人によっては読むに耐えない“便所の落書き”呼ばわりされるこの巨大掲示板。初めて訪れる方には刺激が強すぎるかもしれんが、意外や意外、あまり一方的な意見に流されることもなく、世間の風評よりは数段まともな意見も散在したりして面白い。ところが話題が“在日”の方々に関するものだと、手が付けられないくらい荒れまくる。何故だ?

 小学校の時の友達のことを思い出す。仲の良い友達だったが、五年生に進級する時点で何の挨拶もなく転校してしまった。転校するならお別れ会でも開くだろうに、突然いなくなってしまったといった方がよいか、とにかく呆気にとられた。そのことを母親に話すと、
「あぁ、あの子朝鮮人(注1)だから、朝鮮学校に行ったんじゃない?」
と、いうではないか。(はぁ?!)いや、ビックリした。友達が朝鮮人だったことより、実際に合ったこともない小学生の息子の友達のことを知っている母親に驚いた。いくつか交わした会話に含まれた、当人も気付かない程度の侮蔑にも...。
 こういう問題がクローズアップされるたびに思い出す。
 小学校の階段を、その友達のあとから上って行くと、先に踊り場へ着いた彼が突然振り向き言い出した。
「なぁ、舌と舌をくっつけたらどうなるかな?ちょっとやってみねぇ?」
当時の俺に、唇と唇を合わせるものがチューであるという知識はあったが、舌と舌をくっつけるなどという斬新な発想はなかった。(なるほど、それは面白い!)承諾し、早速その場で二人は向き合い、お互いに舌を出しながら接近する。お互いが接触した瞬間、二人同時にのけぞった事を覚えている。
「うっ!気持ちわりぃっ!」
そう彼は叫んだが、俺などはその気色悪さに言葉も出なかった。その後、二人して馬鹿なことしちゃったなって感じで教室にでも帰ったのであろう。間もなく彼が居なくなるとは思ってもみなかったが。
 それが彼との最後の思い出でもあり、唯一思い出せる出来事だ。

 彼らと我らと何が違うというのだ。違うとすれば、違ってはならん理由は何だ? 彼らとは何だ? 我らとは何だ?
 いったい、いつまで引きずり続けるつもりなのか。

※注1
母親は朝鮮人と言っていたが、実際は韓国籍だったのかもしれん。
そういえば
「馬鹿でもチョンでも~」
って言葉の意味を知った時も衝撃的であったな。よく使われていた言葉であるが、それは既に慣用句であり、その意味を知っている人間でさえ、この言葉を発するたびに、一々差別感情を込めていたとも思えない。ハッキリ差別感情を表すより、こういう何気ないことの方が深刻で厄介なことなのかもしれん。

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